今月のテーマは、「高園さん、出産って怖くないですか?」。
めでたく3人目の赤ちゃんをお腹に宿し、現在妊娠9ヶ月(!)である高園さんに、1人目・2人目のときの出産体験をトークしてもらいました!
出産って人それぞれに全く違ったドラマがありますよね。
私の出産も予期せぬハプニングが続出!
みんなの励ましになるどころではなく、怖がらせてしまうのでは? と若干心配ではありますが(涙)、
数ある出産エピソードの一例として読んでいただけたら。
今は、自然分娩、無痛分娩のほかにもいろんな出産スタイルがあるそうですよね。
ちなみに私の出産スタイルは、1人目は自然分娩、1人目の経験から2人目は和通分娩* 。
*麻酔薬を使って陣痛の痛みを軽減して出産する方法
そして今妊娠中の3人目も無痛(和通)分娩を予定しています。
初めてのお産はやはり不安だったので、経験者である母親に寄り添ってもらえたら、と里帰り出産を選択しました。
当時はUngridのディレクターとして働いていたので、佐賀と東京のリモートワーク。
子宮頸管が短くなり切迫早産と診断されていたので私は家でゆったりと妊婦生活を送りながらも
みんなのおかげで出産ギリギリまで仕事ができました。
まさか分娩台の上でまで気になりピコピコとメールを打つことになるとは思いませんでしたが(笑)。
予定日を超過した頃、破水のようなものを感じて、一度病院へ向かうも破水ではないと診断。
「こんなに大量の尿もれ、ある?(笑)」と疑いながらも産院を後にし、
まずは景気付けに! と焼肉ランチへ。 呑気です(笑)。
そのまま次はいつ来られるか分からないから、とご先祖さまへのあいさつをしにお墓参りにも。
その後、帰宅して、くつろごうとソファに座った途端、、、ビシャー!っと。
履いていたグレーのパンツが一気に変色。
これは間違いなく破水! と、東京にいる夫に電話をしながら母の運転ですぐに病院へ向かいました。
初産はまだコロナ禍の前のことで、私たちは立ち会い出産を希望。
でもとにかく東京から佐賀までの道のりは遠い(涙)。
夫が果たして間に合うのか? と、いうことだけがとにかく気掛かりでした。
病院に到着するも30分後には陣痛が始まってしまい、しかも本来あるはずの前駆陣痛をスルーして本陣痛へ。
「この調子ならすぐに生まれるよー!」と助産師さんの応援の声に、
「いやいや、夫に見せたいからそれは困る」と夫を待ちたい気持ちと
痛さで早く終わってほしい気持ちとの両方感じていたのを覚えています。
破水した時間から数え、分娩時間は7時間でしたが、
そのうちの4時間は我慢との戦いでした(笑)。
ついに限界を迎え「もう頭見えているから分娩室入るよ!」と、先生に声をかけられたとき。分娩室へのアナウンスで
「ご主人様が到着され、走って向かわれました!」との声が聞こえ、
夫がギリギリセーフで滑り込み! 出産に立ち合うことができました。
私の電話がきた瞬間に飛行機のチケットをすぐさま押さえ、タクシーに飛び乗り、仕事を切り上げ東京から佐賀に向かった夫。ナイス判断!
そして幸せの時間が流れるも束の間、
今までの感じたことのない激痛が走ったんですよ……。
胎盤用手剥離という、本来なら出産後自然に出てくるはずの胎盤が出てこなかったため、
先生が手でかきだす、という聞くだけでゾッとするような処置でした。
コレがなかなかの痛さで……。
破水から始まったお産で急激にきた痛みと、胎盤用手剥離の経験で
次の出産は無痛(実際は和痛分娩でした)で行こう!と決めました。(笑)
ともあれ、不思議と赤ちゃんを抱っこすればそんな痛みよりも嬉しさが勝り、
そのなんとも言えぬ温もりと愛おしさに感動し、
泣きながら、先生や助産師さん、夫にも赤ちゃんにも、
「ありがとう!ありがとう!」 と連呼していた記憶があります。
そして約1年半後、2人目の出産で選んだのは、東京の病院での和痛分娩。
通っていた病院では、完全無痛ではなく麻酔で産道の緊張を取り去り、
痛みを和らげる、というものでした。
で、結論からいいますと、私のカラダ、麻酔がほぼ効かず!
しかも麻酔の効果で下半身が痺れたことが恐怖で、体感としては、正直、普通分娩のときの陣痛の痛みと変わらないじゃん、という感想です(涙)。
そして、一番のハプニングは、娘が産道を進んで出てくるなかで、ヘソの緒が首に巻きついてしまったこと。
それを解くために、分娩台の上で
四つん這いになったりとすごい格好をするのですがこれがまたシュール(笑)。
2人目も立ち会い希望だった夫ですが、
「まだ時間かかりそう」と言われコンビニに出掛けていたので、
残念ながら四つん這いシーンは見られず(笑)。
余裕がない私からしたら、「しんどいときを見ておいてよ!」が本音(笑)。
そして、夫が分娩室に戻ってからほんの30分後に出産。
分娩時間2時間半という、なんとも忙しいスピード出産でした。
我が家は、妊娠期から出産までを夫婦で共有することで、
子どもたちに対しての愛情もきっと高まるよね、
感動を共有できるよね、という思いで立ち合い出産を選びました。
男性は女性みたいに妊娠で抱えるホルモンの変化や十月十日の不安、
実際に出産の痛みや大変さも経験はできないので
その姿を目に焼き付けてもらうことで、後から振り返ったときにも
あのときこうだったよね、と思いを分かち合ってほしいと思ったことも立ち合いを希望した理由です。
3人目もコロナ禍の余波はまだありますが、なんとか立ち合いはできそう!
(入院時の面会はまだまだNGとのことです)
夫は普段からお腹に向かって積極的に話しかけたり、マッサージしてくれたり、
時間があれば整骨院に連れて行ってくれたりと、父性全開でサポートしてくれるタイプ。
私は逆にお腹に声をかけたりすることが恥ずかしくてできないタイプなので、すごくありがたいし、
その姿を見て子供たちも毎晩寝る前にお腹に話しかけてキスしてくれます。♡
やはり何回経験しても妊娠出産は不安。
でも、伴奏者のように隣で母親や夫がサポートしてくれたことで
救われたことがたくさんあるな、とつくづく思います。
そして最近は、Instagramでそんな思いを正直に綴っていたら
たくさん同じような思いをしている妊婦さんや経験者さんがたくさんいて、励ましの言葉をくださり……。
それがすごく支えになって、私も積極的に妊婦である今の感情を発信することにしました。
親でも、パートナーでも、家族でも、友人でも。
同じ状況を分かち合い、寄り添ってくれる人がいるってこんなにも心強いんだと、改めて。
最後に……最近の私。
すでに体重はプラス17キロを超えました(笑)。
来月はそんなワガママボディを楽しむ
マタニティ期のお洒落について、お話したいと思います(笑)。
Interview_Mio Nemoto Edit_Ayaka Ono〈Gina〉
高園あずさ
1989年9月24日生まれ。佐賀県出身。2014年〜2021年まで、Ungridクリエイティブディレクターとして活躍。2022年に独立。現在はアパレル、ビューティ、空間プロデュース、コンサルなど活動の幅を広げている。2022年春より、東京と大阪を行き来する二拠点生活をスタートさせた。
1989年9月24日生まれ。佐賀県出身。2014年〜2021年まで、Ungridクリエイティブディレクターとして活躍。2022年に独立。現在はアパレル、ビューティ、空間プロデュース、コンサルなど活動の幅を広げている。2022年春より、東京と大阪を行き来する二拠点生活をスタートさせた。